初級終了段階のクラスにおける読解授業のデザイン 「読める」 ことにつながる授業を考える

文章が「読める」ようになるとは、どういうことだろうか。もし文章内の語彙と文型が全部理解できることが「読める」ことなら、極端に言えば読解の授業をわざわざしなくても、文章が読めることになる。しかし、実際の文章では、いくつもの文がつながることによって、文脈が生じる。したがって、学習者は必要に応じて文中に明示されていない含意を読み取り、理解しなければならない。国際交流基金(2006)は「「読む」ことを教える目的は、学習者が日本語でいろいろな読み方ができるようになることです」と述べている。それならば、学習者がこれから必要となる読みのストラテジーを身につけられるような授業をすれば、学習者が文章を「読める」ようになると考えられる。

筆者は、2014年から、インドネシアの大学で3年生の読解の授業を担当している。3年生になったばかりの学生は『みんなの日本語初級Ⅰ・Ⅱ』を使って文法の学習を終えた後だ。文法や漢字の教科書の問題で読解問題を解いたことはあるが、読解の授業はこの授業が初めてである。

本稿では、初級文法を終えた学習者が初めて受ける読解の授業について考えたい。

Artikel adalah bagian pengantar dari artikel yang ditulis oleh Chihiro Nakamura B.A. Artiel ini dipresentasikan di Seminar Pendidikan Bahasa Jepang di Korea yang diselenggarakan pada bulan Desember 2015.